考察風味でお送りします。
※後半ちょっとふざけます
この曲の主人公は『沈んでいく僕』だ。
「ぼくはもういないものとして生きていた
もう既にいないものとして生きていた」
ここから、『僕』は生きているが生きていない、透明人間的存在として描かれていると考えられる――モラトリアム期に若者が一度は考えてしまうような。
「きみはそう手を伸ばして揺れていた
水面を越えてしまってはダメだ」
『君』と『僕』は、水面を境に別の世界に生きていると思われる。
水面を越えてしまってはダメなのは、どちらなのか?
『僕』で考えてみる。
手を伸ばす『君』に触れたいが、水面を越える事は『ダメ』。
越える事が出来ない、とは言っていない。つまり、『僕』の意志で越える事は出来るのだろう。だけど『僕』は、自身のいる『水面下の世界』から抜け出す事を選べないのだ。
水面下の世界とは、何だろう。
先述したモラトリアムとは、少年(少女)時代から大人になるまでの『何者でもない期間』とされる。(モラトリアム - Wikipedia)
この『何者でもない期間』を水面下の世界とすると、『君』に触れようと水面を越えてしまう事で、『何者かになってしまう』のではないだろうか。
彼はそれを恐れて手を伸ばせないのだ。
彼はこのあたたかくて甘い味のする水面下から抜け出せない。
…と、ここまではなんか難しい言葉とか使って良い感じに思いつけたんですけど。
この曲の歌詞はどんどん矛盾していきます。
①沈んでいく水のなか 眠っているきみと目があった
沈んでいって目が合うって事は、『僕』が『君』の頭上からうつぶせの状態で沈んでいくって事ですね。眠っているのに目が合うってのは、まあ、寝てるなら一瞬ぐらいそういう瞬間もありますよね。(甘)
②家の屋根が見えるかな 今 2階の窓が開く
あっ、家の屋根が見えるって事は、屋根⇒僕⇒君 の順だと見えなくなっちゃうので、『僕』があおむけに沈んでいって、『君』はうつぶせに眠っているって事ですね。
文章で書くと余計に分からないので図にしてみましょう。
ナンカカッコワルイ解釈ニナッチャッタナァ!?!?(すみません)
閑話休題。
話は逸れるんですが、『TENET(テネット)』という映画を最近見まして、クリストファー・ノーランという監督の作品なのですが、「考えるな、感じろ」って作風なんですね。
説明が少なくて、何が起こっているのか分からない状態で話が進んで行くんですけど、物語を理解する事より、爆発やアクションの気持ち良さとか、音楽のギミックにハッとさせられるとか、"物語"以外の部分が凝っていてとても好きでした。(最後に物語もしっかり、綺麗に終わります。)
戻ります。
歌詞の"意味"について悩むのも面白いけど、TENETのように歌詞の意味を考えず、語感とかを感じるべき曲なんだと思います。
「今2階の窓が開く」と何か事件を予感させるような不穏な言葉と音楽なのに、次のパートで突然チルアウトする。音楽の進行のさせ方が面白いですよね。
歌詞を読み解こうとすると、おかしな曲。
歌詞を音楽の一部として聴くと、面白い曲。
「僕はもういないものとして生きていた」なんて、人生に絶望しているような虚しい歌詞なのに、後ろではやけに明るい音が鳴っている。言葉はマイナスなのに、音はプラス。歌詞以外のところも矛盾してるんだなぁ。
矛盾する事はだいたいの人が忌むけれど、矛盾したまま音楽が進行していくように、矛盾する事を否定しないで生きていくこともできるだろうか。
水面下から少しだけ上体を起こして、水に浸かったまま彼女の手を取るという選択を、彼がしますように。
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絵の小噺
A3サイズの水彩画です。
デカいし色が濁らないよう気を遣うしで指が爆散するかと思いました。
幸い爆散はしませんでしたが2日ぐらい指が使いもんになりませんでした。