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球体

 

<球体に守られて 誰もが痣だらけ>

痣、という鈍色の単語に想起されるような、錆ついたドラムの音で始まる。

"球体"に守られているにも関わらず、痣だらけで守られていないと言う、矛盾と皮肉を音楽で包んだシュルレアリスム的歌詞世界が我々を引き込む。

 

ライブでもよく演奏される『球体』、Peopleの持つ荒々しい一面が見える曲だ。

リズミカルに挟み込まれるノイズのような歪みが、独特のノリを生み出している。

歪む不穏な音色に乗っかる、無機質な<球体に守られて>の繰り返しはどこか不穏で、それでいて聴いてるうちに心地よくなる。

同じ音を繰り返す、まるでダンスミュージックのようだ。

踊らされている。

 

<声をかえせ 泥棒は笑っている>

今までの鈍色の風景を一蹴するかのように、色めくサビの爽快感が凄い。

サビまで十分につけた助走を存分に発揮して、疾走していく音が気持ちいい。

 

<僕らはだれも殺せはしない 透明な膜のなか>

誰を、何かを、殺そうとでもしたとでも言うのだろうか。

透明な膜、抽象的で思いつく物は数あれど、次曲に控える『物質的胎児』の影響か、胎内とか細胞膜とか、そういうフィジカルな物を連想してしまう。

自己の膜(球体)に閉じこもってわめいているだけなんだろうか、我々は。

 

<球体に守られて だれもが痣だらけ>

<誰も気付かない>

<声をかえせ 泥棒は笑っている>

自己の内側に閉じこもっているくせに、その球体は他の球体とぶつかって、しかし確実に痣というダメージを募らせていく。

人間関係ってそうかもしれない。

見ない振りをしているけど、見えない摩擦は確実に心を侵食していく。

嫌な事を嫌だと言えずにぶつかる球体をぶつかられるままにするしかない"誰も"の事を、泥棒は笑っているのか。嫌だという声を奪った泥棒は。じゃあ泥棒は、声を持っているのだろうか。ちゃんと、自身の言葉を。

 

この"泥棒"について、最初に思い浮かべたイメージは児童文学『モモ』に出て来る"時間どろぼう"だった。

"時間どろぼう"に時間を奪われたから、大人も子供も忙しく、せわしない現代を生きている。

モモという女の子が、"時間どろぼう"から時間を取り戻そうとする話。

ガチ児童の頃に読んだので内容をちゃんと覚えていないのだが、子供心に「時間どろぼうっていうのは本当はいなくて、自分で自分の時間を失っている事を、他人のせいにしているのだ」という感想を抱いた事は覚えている。もしかしたら後書きにそういう解説が書いてあったのかもしれないけどね。

『球体』で奪われた"声"は、泥棒のせいじゃなくて、実際は球体に守られたままの我々が、自分で失ったんじゃないか。

・・・そんな風に解釈しています。

 

『時計回りの人々』で時計の外側へ出た人がAve Materiaの世界を旅すると仮定したら、その人は『球体』に守られている事を自覚しただろうか。

自身の体が痣だらけな事に気がついただろうか。

でも『球体』は、痣を作らない方法を教えてくれない。

ぶつかり続けながら踊り続けさせられるだけの、曲だ。

まあなんというか、このビートに乗って踊り続けられるなら、痣だらけでも悪くはないよね。

 

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カッコいいよね~~~~~~

ライブで聴ける<声をかえせ>のコーラスがめっちゃ好きです。

なんであんな聴いてて気持ちいいんでしょうね。

結構、演奏は暴れまくってると思うんですけど、そこに乗っかる清涼感のある歌声がピープルらしさを作っているというか。

演奏バチバチキメキメ激アツ、歌詞不穏、爽やかな歌声。

間違いなくピープルの良さが詰め込まれている曲だと思います。

 

Cut Three(DVD)の『球体』がめちゃくちゃ好きです。

全体的に楽しそうで良いですよね。

ライブ行きたくなりますねー。