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時計回りの人々

 

<ひとがいうには

「すぐに治るよ きみのこころは

仲間の待つ仕事に戻れよ 今日のところは」

もしかしたら そうかもね

みんないうなら そうかもね>

 

この歌詞を聴く時、読む時、書き起こす時。

なんていい歌詞なんだと思う。

<きみ>のこころは多分、治らないし、<ひと>には治らない事を知らないし、どちらも、病など無いふりをし続けて隠して日常を延長してゆく。

だけれど<きみ>には治らない心の痛みがあると思う。

おそらく共感だ。

勝手な勝手な共感だ。

 

『Ave Materia』

ラテン語Ave Maria(こんにちは、マリア)(おめでとう、マリア)をもじったAve Materia(こんにちは、物質)(おめでとう、物質)というタイトルが今回も意味深だ。

メッセージの存在、思想の存在、物語の存在、全10曲聴き終わる頃には掴めるようになっているだろうか。

物質という名前を冠しているくせに、始まりから捉えどころは無い。

『序』はワールドカップを想像させるようなサウンドが流れるだけなのに、どこか不穏に感じる。

沈黙が時に雄弁となるように、このインストゥルメンタルはとても騒がしい。

ワールドカップ会場を抜けると、我々は『時計回りの人々』が生きる会社だか社会だかに到着する。

 

直接的な単語は無いが、社会の歯車となって働く人々の歌だと連想する。

歌の中心人物は多忙の中、心を壊してしまったようだ。

忙しい、忙しい。

毎日同じ事の繰り返し、自分のためではなく社会と会社のために働け働け。

みんな、自分の心が壊れている事に気づいていない。

自分の感性など殺して殺して、周りと同じように笑って笑って。

むしろ壊れている事には気づかない方が幸せだし、もしかしたら壊れている事に気づかないふりをしているのかもしれない。みんなみんな。

気づいてしまった<きみ>は医者へ行く。

医者も同様だ。

医者も<みんな>と同様だ。

 

<なにか不思議だ

きみは壊れていないのに>

きみを外側から見ている誰かがいる。

きみは壊れていないと言ってくれる誰かがいる。

 

<でも医者が言うには「すぐに治るよ きみのこころは」>

きみは医者を信じてしまう。

<もしかしたら そうかもね>

<みんないうなら そうかもね>

と迎合してしまう。

いや、本当にそうだろうか?

トラックは『球体』に続く。

時計回りの人々のうち、時計の外側へ出ようとしている人の歌ではないか?

そうかもね、と合わせた振りをして、時計の外側へ出た人は次の曲を再生する。

だって、自分が時計回りに生きていると自覚したから。

『Ave Materia』を最後まで聴く事。

それが時計の外側へ出る第一歩であり、この人の旅の始まりなのではないだろうか。

 

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また、音楽の知識が無いくせに"好き"の気持ちだけで文章を書き始めようとしている。

あるのは感性と、無駄に早いタイピング能力だけ。

あとは、"自分と同じように何でもいいからPeople In The Boxの曲感想を読みたがっている人がきっといる"という霞のような信頼。

仲間探しの旅でもあるかもしれない。

頼りは、数字(リアルタイム更新されるはてなブログの閲覧者数カウンター)だけという武骨なフィールド。この荒野を進む感、嫌いじゃない。

歩けるうちに進んでおこうか。

 

さて、『Ave Materia』は2012年リリースのアルバムである。

・・・10年前というクレジットにビビり散らかしたが、いつも聴いてる皆さんなら分かると思いますが、そんな時の厚みなど全く関係無い佇まいのアルバムですよね。

いや、『Ave Materia』に限らず全ての曲が独立しているというか、時や流行りなどと関係無くマイペースに存在しているという感じですね。

とても安心感があります。

いい物は決して滅びない。

だけど、それは滅びさせない誰かの努力の結果だとも思います。

別に何が出来るってわけじゃないけど、インターネットの海に"このバンドの曲が好き"という気持ちを放流しておけば、時という川の中で誰かに行き着いて、拾い上げてくれる日があるような気がするんです。

なんか・・・有名な音楽ブロガーとかに・・・(誰?)

というわけでまたよろしくお願いします。

 

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弾けるドラムのパッション溢れるリズムがリードして、頭を思わず振りたくなるようなビートがノりやすい。

歌詞は陰を描いているが、反比例するようにノリの良いロックサウンドに満ちた『時計回りの人々』、かなり"People In The Boxらしい"曲だと思う。

静と緩急が導く、ドキドキする曲展開は予想がつかなくて聴いていて面白い。

そこに組み込まれる、皮肉にも聴こえるし理解されない侘しさにも聴こえる、仄暗い歌詞は、言葉に出来ず飲み込まれる日々の想いを吐き出しているかのようで、ロックだと感じる。

日本語ロックの中でも、"文学的な歌詞"に惹かれる自分は、好きな歌詞を反芻して読み味わうのが好きだ。

 

あ、でも、なんかこういう事言ってる時点でこころが壊れている側の人間かもと思います。

 

だからライブ行くと安心するんだろうか。

『時計回りの人々』は盛り上がる方の曲だと思う(手を上げるタイプのアーティストじゃないんで目に見えて盛り上がっているかは分からないんですけど。雰囲気から感じているだけなんですけど。)。

心が壊れている側の人がたくさんいる事に多分、安心していると思う。

<みんな>から除外された人々が、ギターを弾きながら歌うあの凄い人を見て、複雑なリズムを正確に刻むベースに酔いしれて、繊細な音と野性的な音を行ったり来たりするドラムに圧倒される、あの空間。

箱の中には、時計回りに倣えなかった人々が大勢詰め込まれている。

 

・・・などと。

勝手にすみませんねぇ。本当に。

いえ違いますけどって方はこんなブログ閉じてしまってください。

あでもちょっと分かるとか、この変な文章遠くから眺めるだけなら面白いやって方は・・・引き続き、よろしくお願いします。一緒に箱にぎゅうぎゅう詰めになっていきましょう。