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さようなら、こんにちは

<わたしの聖域に入っておいで>

これが『Ave Materia』のテーマだったのかなぁ。

そんな神々しさを感じる。

そこにあるのは赦しのような、安らぎのような。

崇高なものだなんて思いたくない。

ただの音楽。

ただのロック。

なのに、なぜ。

初めて聴いた時の言葉にならない圧を覚えている。

言葉にならない圧をなんとか表現してみれば、やっぱりあれは"崇高さ"だった。

 

『Ave Materia』で何度か登場した気がする、カントリーソングのようなぽろぽろ鳴るギターの音。

音楽的なテーマはこういうサウンドだったのだろうか。

『市場』の攻撃的な出だしと180度違うから面食らう。

『割礼』『みんな春を売った』『市場』は、文章がとても書きづらかった。

素直に書こうとすると色々と、攻撃的になってしまったり、知識が必要な表現になってしまったり。気を遣った。

(他の曲に気を遣ってない訳じゃないけど。)

肩の荷が下りたというか。

気が緩んだついでに、『割礼』『みんな春を売った』『市場』は、フィナーレの『さようなら、こんにちは』『八月』へ向けての助走だったと感じる。

圧屈され閉塞したからこそ、『さようなら、こんにちは』の開放的なサウンドがより、効果的に響く。

映画の伏線回収みたいだ。

 

この曲の良い所は、穏やかに始まって最後までその穏やかさを保つところだ。

途中でテイストの変わる曲が悪いわけじゃないし、そういう曲は面白いと思うんだけど、やっぱり聴く時身構える。緊張する。

もしかしたらそういう劇薬を与えた後のプレゼントというか、お詫びみたいなもんかもしれない。

美しいお詫びだ。

リズミカルで活き活きしている、好きなドラムの音がする。

 

<傘を忘れて踊ろう>

<降り注ぐ それは雨じゃなかったんだ>

<あなたの絶望で 空が晴れ渡るよ>

何が降って来たんですかねぇ・・・

解放感の先に読まれる不穏なもの。

「一寸先は闇だという事を忘れるな」というテーマは、People歌詞世界に一貫していると思う。

それでも絶望を抱えたまま見上げる空の美しさを自分は知っているので、この歌詞に特に絶望は感じない。

空は感情に関係無く、晴れ渡り美しい。

その場面を切り取ったこの歌詞も、美しいと思う。

 

<意味もなくきみが笑う さよなら、物質(Ave Materia)>

<意味もなくぼくも笑う さよなら、物質(Ave Materia)>

深読みする事が楽しかった。

だけどこの歌詞の前ではどうだろう。

意味もなく笑うきみとぼく。

それだけの風景が、心から美しいと思う。

人間らしさに感動する。

『時計回りの人々』で心が壊れたあの人は、此処に辿り着けたのだろう。

開け放った窓の前で意味もなく笑う事。笑える事。

 

さよなら、物質。

結局、物質って何の比喩だったんだろう。

Aveはこんにちはだから対訳としては間違っている。

ちなみにさようならはラテン語でVale(ワレー)と言うらしい。

Vale Materia.

簡単なアナグラムをしてみれば、Ave Materialとなった。

言葉遊びも面白いけれど、たぶん、言葉を超えた何かがここにはあるんだろうな。

きみと笑い合う事(=Materia)にAve.

感性を守り続ける事を否定し、物質のための人生を送る事(=Material)にVale.

 

<花と宇宙が散るなかを>

これも美しい表現で好きだ。

時々ここだけ歌ってしまう。

特に春の日に。

 

<わたしの聖域へ入っておいで>

<土を踏みしめてなみだを垂らして>

<意味もなくきみが笑う さよなら、物質>

<意味もなくぼくも>

映画や脚本を作る時の専門用語に"カタルシス"というのがある。

助走みたいなもんで、主人公の晴れない悩みだとか上手くいかない現実だとかを序盤で描く。

クライマックスにそれらを一気に解決する事で、観客は主人公と同じ晴れやかな感情を味わう。

『さようなら、こんにちは』は『Ave Materia』というアルバムにおけるカタルシス回収の曲だと思う。

社会を飛び出した"時計回りの人"は『球体』に守られていた事を知り、『物質的胎児』として冷蔵庫の中へ閉じこもった。

『ダンス、ダンス、ダンス』で踊ってみたはいいものの、あくまで脳内での解放に過ぎず、『割礼』で内側にヘイトを向け始める。

『みんな春を売った』でそのヘイトはより深まり、『市場』ではついに流血してしまう。

<土を踏みしめてなみだを垂らして>歩き出したのは『物質的胎児』の事だと思いたい。

結局、誰とも出会ってない。

自閉探索の果てに、自分の力で開け放たれた窓を見つけたんだ。

箱の扉を見つけられるのは自分だけなのだ。

閉じられて綴じられた物語がこうもカタルシスを生み出すのは、言葉の力だけじゃ無理だ。

音が劇的だから効果を持っている。

言葉に頼らない力だから、我々一人一人に違う意味を持たせる。感じさせる。

 

いつか誰かと出会って、変わっていってしまうとしても。

言葉が変わっても、音楽は変わらないから。

 

<窓を開け放って 風を誘い込んだ>

<屋根を吹き飛ばして すべて撒き上がるよ>

<窓を開け放って 光 暴れ出した>

<まぶた開け放って その眼でなにもみるな>

最大の解放感は、ここに尽きる。

重なるコーラスと3楽器の柔らかなアンサンブルが空間を包む。

讃美歌にも聴こえる。

讃美の対象は、自閉探索を続けた主人公へ。

ともに探索し、見届けた聴者へ。

 

『Ave Materia』という映画は、主人公の帰結を以て幕を閉じかけている。

『八月』はエンドロール後の風景というか、後書きのような位置づけに感じる。

それはとても美しい後書きで、今から書くのが楽しみだ。

 

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繰り返しになってしまいますが、『割礼』『みんな春を売った』『市場』は本当に書くのがしんどかったです。

読まれてないのも数字で見えますし、だからといって書かないという選択肢もありませんでした。

書きづらかった理由は何となくですが、"内側に向いている曲"だからな気がしました。

内側に向いている曲の感想が、大勢に読まれる訳が無いです。

だからといって曲の事は大好きですし、言葉に出来ない曲の魅力を無理矢理言葉にしようとしているのはこちらですので・・・。

 

全曲書くという事は、これからもこういう事があるんでしょう。

それでもやると決めたからにはやらないと次に行けません。

好きなものから受けた影響を、そのまま出力するのではなく、飲み込んで消化して、自分のオリジナルな表現で出力しないと、その好きなものは廃れてしまうと予感しています。

だからさっさと全曲終わらせて、音楽が好きな気持ちをブログではない形で表現していきたいのです。

 

今年の目標は今年で全部終わらせる事です。

今年もよろしくお願いします。