YOMUSIC

読む音楽 ライブ感想・曲感想など。使用している画像は全て自作です。 X:@tbk_pd

正弦定理と二十二日の夜の夢

2022.10.16 People In The Boxの正弦定理 追加公演

前半 レビュー

後半 創作活動に関する所感

          

1:Alice

ギターの「ジャッ、ジャッ」という音が響いた瞬間、鳥肌が立った。

「揺れる日傘」という甘い響きから、この世界に落とされて行く感覚が大好きだ。

 

2:忘れる音楽

何ていうタイトルだっけ、思い出せないうちに「レイディオ、」と感動すら覚えるサビに入ってしまった。

入ってしまってから思い出す、この曲のタイトルは『忘れる音楽』だと。

温かさと切なさの混じるメロディに、心が溶け出していく。

 

3:日曜日/浴室

日曜のライブで、『日曜日/浴室』を聴けるのってけっこうレアだと思う。

"15年の選りすぐり"の中に、この曲が入っている事が嬉しい。

 

イントロで「まさか!?」と思ってからの、鳥肌ハンパなかったな・・・。

この、仄暗いおとぎ話のような、それでいてどこかの男女間にあったような不思議なお話は、何度だってライブハウスで聴きたいものだ。

「わたしのいのちをきみにあげる パンケーキみたいに切り分けてあげる」

この世で1番好きな歌詞をどうもありがとう。

この曲を聴いてる間だけは、"きみ"から命を貰った事にさせて欲しい。

 

4:球体

日曜日と町Aの衝撃が強すぎて球体ホントにやったか覚えてないです。(すみません)

 

5:町A

アガったな~~。

ダイゴマンがコーラス用にマイクを引き寄せると、いつもワクワクする。

3人で歌う曲が好きです。

健&波の伸びやかなサビのコーラスは言わずもがな。

気持ちよさの最大風速。

歌詞の遊び心、その中でも聴いていて気持ちの良い言葉の組み合わせ、コーラスの重なりの美しさ、3楽器がワチャワチャと思い思いに弾くジャズ感の楽しさ。

この曲も"15年の選りすぐり"に入っていて嬉しかった。

 

6:月曜日消失

日曜日→月曜日消失はシビれましたね・・・。

暗さと切なさの同居するギターがたまらん。

ふしぎと何かに救われたような気持ちになる曲。

何かには分からないけどね。

 

7:バースデイ

反射的に「最後の曲?」と思ってしまった。

中盤でぶっ込まれるバースデイの破壊力がすごくて、「逆にこれで終わりでも納得」と思ってしまった。

終わりじゃないという幸福。

流石に、後奏セッションは控えめでした笑

 

8:新曲

「その革命から身を躱(かわ)せ」というフレーズが印象的。

歌詞を見ながら聴きたい。

 

9:新曲2

コーラスが多い曲!嬉しい!

やたら良かったです。

音源はよ。

 

10:懐胎した犬のブルース

「忘れてしまうだろうね」という歌い出しにはいつもドキリとする。

歌も、楽器も、とても伸び伸びとして聴こえた。

 

11:冷血と作法

オーディエンスと演者はこの曲でやっと一体になった気がする。

怪しさ満点な入りから、気持ち悪いけど気持ちいいギターを経て、サビの謎の爽快感。絶妙なトリップ感。

ここら辺からPeopleの裏面というか、「ハマる人はとことんハマる」ゾーンに入った。(伝わる?)

 

12:レテビーチ

トリップしたままのレテビーチはやばかった・・・。

「甘い悪夢を見たいよ」の破壊力。

今回のライブ全体的に思った事だけど、ベースが凄かった。

 

13:はじまりの国

15周年、ここからまた始まっていく。

そんな予感をさせるようでシビれる選曲だった。

「行こうかな 戻ろうかな いっそ踊ろうかな」

歌詞は彼らのスタンスを表しているようでもあり、我々のスタンスを表しているようでもあり、いつ聴いても素敵だ。

高いボーカルと低いコーラスの響きがとても心地よく、福井健太のコーラスが本当に好きだと再認識。

13曲やっても全く疲れの見えないパワフルなドラムも凄かった。

 

14:金曜日/集中治療室

波多野さんが手拍子を促してくれて凄く嬉しかった!

何だかんだ、グッズ紹介のMCなり、声を出せないとこちらの気持ちが伝えられない気がして、苦しい。

手拍子、楽しかった。

「めちゃくちゃにしてやろうよ」のベースとギターを見たくて目が忙しかった。

 

15:聖者たち

ちゃんとタイアップ曲が入ってて安心(?)した。

入りはベースが格好いいけど、実はベース控え目な曲なんだな~と思った。

また別のライブでもちゃんと3楽器観察したい。

 

16:JFK空港

15周年の締めくくりに何が来ても驚かないけど、JFEなのはファンとして嬉しかった。

(ピアノではなくギターだったのもなんだか嬉しかった。)

大事な曲(彼らにとっては全てそうなんだろうけど)だと分かって嬉しかった。

無機質に繰り出されるポエトリーリーディングに、勝手にこちらが感動したり物語を読み取ったり。

(あー、Peopleのライブってこういう感じだったな)と、曲の味わい方を思い出した。

 

●MC●

・3万8000曲のストックがある

・Tシャツ等服系の紹介を全て任せられてしまった福井健太さん

・全て「買ってくださぁ↷い」で押し切る福井健太さん(ちょっと雑)

・グッズのコーヒー、3人それぞれの豆を20粒ずつブレンドすると最高に美味しいと紹介する福井健太さん

・「グラムで言ってよ」と詰め寄る波多野さん

・でも波多野家は電動ミル 「ええ。僕はボタンを押すだけの…怠惰な豚ですよ。」

・グッズのタンブラーは楽器になる

波「多分中身入れたら音の高さ変わると思うよ」

健「低音が欲しい」

ダ「今後の我々の楽曲にこういう(ビイ~~~~~ン)音が入ってたら、それはタンブラーです。」

 

やはりライブは楽しいな。

 

シナリオ作りの方を始めて1年以上経ってしまった。

なんだかんだ、界隈では人気作家みたいになったみたいだ。

自分の原動力はライブや音楽で、音楽から受けた衝撃を消化するツールがこれだっただけだ。

だから学生時代からこれまで聴いて来た素晴らしい音楽たちに感謝している。

 

最初はトガった作品を作っていたのが、周囲から評価を受けるにつれ誰でも楽しめるような丸くて面白みのないポップスばかり作るようになってしまうバンドが嫌いだった。

でも、今なら気持ちが何となく想像できる気がする。

「評価が欲しい」とか、「期待に応えたい」とかじゃなくて、積み上げた人間関係のお陰で身動きが取れなくなったんだ。

ガラガラの電車で自由に踊れていたのに、人が増えて車内が混むにつれ、人とぶつからないようにと動けなくなった。

 

今、動けない。

 

次はどんな作品を作ろうかあれがしたいこれがしたいでも市場の好みはこっちだからこういうのは好みじゃないけど作れば大勢が楽しんでくれるなあでもこれは好みじゃないんだよなあ好みじゃない作風を自分風に書くにはどうしたらいいんだろうなあ あああ。

 

メンがヘラってますね。

5月に、市場に(感覚の)チャンネルを合わせたくて合作を試みた。

それは良い事でもあったし(多分、自作で最も人気のシナリオになった。)、終わってから気づいたけど悪い面もあった。

自分を見失った。

自分を見失っている事に気づいたのすら、9月になってからだった。

気づいたら満員電車で身動きが取れなくなっていて、それは自ら望んで飛び込んだ電車ではあったけど、そこから抜け出すのはとても大変だという事まで考えつかなかった。

(チャンネルを戻す必要がある。)

Peopleのライブ、楽しかったけど以前よりふわふわしていて、全てが突き刺さる感覚は正直、無かった。

それは自分のチャンネルがブレていたからだと理解したのは、終わって2週間ぐらい経ってからだった。

 

絵や文章で結果を出せた事が無かったから、車内に人が増えるのが嬉しくて、電車をどんどん満員にしていった。

努力すれば満員になった。

そのままその電車に乗って行く事を選択できたなら、どれだけ楽だっただろう。

何となく想像している。

多くの成功を収めた創作者は、創作活動の目的を見失って、人が少なくなった電車を他人のせいにして、自滅していくんだろうと。

そうはなりたくなかった。

 

合作が成功して、一区切りついて、自分の中に無かった引き出しを得て、そして失ったものがあった。

失っている事だけを分かっていて、何を失ったのかは分からなかった。

いや、多分、忘れたんだと思う。

”自分の感覚を信じる”事を思い出させてくれたのはライブだった。

自分はこの暗くて、繊細で、孤独で、でも温かくて、大衆に迎合できなくて、それは都会的と言うより自然に近い、この音楽が好きだと思い出した。

 

People In The Boxの音楽は不思議だ。

余白がありすぎて、解釈も感動も聴者に委ねられている。

それは横たわる山のように、靜かな大海のように、音楽という掴めない芸術が"ただそこにある"。

山や海と対峙して、何かを感じ取るのは全て、見つめている人間が勝手にやる事だ。

対峙。

この言葉がしっくり来る。

音楽との対峙。

自分との対峙。

自分の感覚との対峙。

 

いくつか作品を作って、思った事がある。

ポップスとか流行る物というのは、チャンネルをオーディエンスに上手く"合わさせる"技術を伴っている。

広告代理店、マンガの編集者、映画のプロデューサー、たくさんの職業がこの技術を受け継ぎ、使いこなし、世の中にポップス(=大衆に受け入れられる物)を送り出している。

いくつか作品を作って、気づいた事がある。

多くの人は、自分の感受性を自覚していない。

映画なりドラマなりマンガなり、与えられた刺激に素直に反応しているだけだ。

"ハイここで恋人が死んで泣けますよ"

"ハイここで敵を倒してスッキリしますよ"

チャンネルをオーディエンスに合わさせる技術を使われて、オーディエンスはチャンネルを素直に合わせる。

 

だからPeople In The Boxが必要なんだ。

チャンネルの合わせ方がぶっ壊れてるひねくれ者、チャンネルは自ら合わせるよと抵抗する芸術家。

必要なんだ。

 

でも、ある程度は車内に人が居た方が良い。

廃線になってしまったら、電車は走れなくなるから。

ぶつからない程度にゆるやかな距離感で、同じ車内にいたいね。

この電車の終点がずっとずっと先である事を祈って、出来れば永遠に続く単線であって欲しいと願いながら。

いつかまた、同じ電車で。

 

--------------------

 

素人が音楽に感想や意見を述べる事は厚かましいんじゃないかと悩みすぎた結果、ブログの更新も1年以上途絶えてしまいました。

"作り手"になって良かった変化の中に、「作者はどんな感想でも嬉しい」と分かった事があります。

あともう一つ、「気持ち悪い感想は無視する」があります。

好きだと言ってくれる事、表現してくれるという現象自体は嬉しいのですが、グレーゾーンな方法の時もあります。

そういう時は、そっと見なかった振りをします。

でも応援の気持ちはありがたく受け取ります。

 

だから自分も、無理の無い範囲で音楽に対するアプローチを再開しようと思えました。

今まで結構気負ってました。

少し気負いを減らして、素直に書いてみようと思います。

それがもしアタタな感じだったら、無視されるだけだな それでいい と、今では気持ち軽く思えるようになりました。

 

文章だけだけど、音楽を生き残らせる事について考えを書いてみました。

それは次の記事にて。