People In The Boxの全曲感想だなんて、なぜそんなにこだわるんだ。
他にも好きなアーティストはたくさんいる。
好きな曲はたくさんある。
でもなぜ、People In The Boxなんだ。
偏執の自覚はあるのだが、他のアーティストと違うのは、自分のパーソナリティに近しいと感じる歌詞が多いからだ。
共感(シンパシー)と言えば簡単だけど、なんというか、それよりももっと深い所にこの偏執の原因はある気がする。
誰かに届けたい文章を書く日と、そうでない日がある。
今回は後者になる。
恥ずかしくなって後で消すかもしれない。
自己セラピーみたいな変な文章だ。
でも、自分がなぜ偏執的にブログを続けているのか書いてみたくなった。
発端は自分の長年にわたるコンプレックスを自覚した事だ。
母の実家は寺院だ。
週末は仕事を手伝いに行っていた。
だから土日にサッカーをやっていた、とか習い事をしていた、とか、そういう家庭の方の子供時代の話を聞くのが不思議だった。
なぜならそういった土日の過ごし方は、自分の常識外の事であったから。
最近になって、自分の境遇についてコンプレックスを抱えていると自覚した。
コンプレックスは、他者から見たら「え、そんな事?」と思うような事、とはよく言う。
自分の場合はこれだったのだ。
ある人は「あなたはあなたの習慣にコンプレックスを抱いている」と言った。
毎年クリスマスの時期は大掃除だ。
須弥壇(しゅみだん)から、仏具を下ろす。
(注:須弥壇とは、仏像などを祀る台の事)
金色の蓮の花の飾りを拭くのは自分の仕事だった。
細くてぐらぐらする蓮の茎を折らないよう、緊張しながら触れる。
何年やっても慣れない作業だ。
ふと蓮の花の裏側を見たら、『昭和三十四年』と書いてあった。
今、63年分の時間のかたまりを持っている。
隣を従兄弟が「きれー」と言って走り抜けていく。
「きれーだね」
蓮の花に集中したまま、従兄弟に返事した。
この飾りを綺麗だと思う感性。
君は間違いなくうちの血が流れている。
People In The Boxの歌詞は、自分のパーソナリティに近いと感じる単語が多く使われている。
「蓮の花」という言葉を歌詞に使うバンドを他に知らない。
蓮の花の飾りを拭く時、寄り添ってくれる曲は『物質的胎児』なのだ。
「石油ストーブの懐かしい匂いがしている」
本堂では石油ストーブを使う。
自分の中には、「石油ストーブの懐かしい匂い」の思い出がある。
現役で使っているからノスタルジーに浸るわけではないのだけれど、それでも、「石油ストーブの懐かしい匂い」の記憶を持っている人がどれだけいるのだろうと考えると、伝わらない事の方が多いんじゃないかなぁと謎の淋しさを感じる。
それと、少しの優越感も感じる。
でもPeopleを好きな人はきっと知ってるだろうと、身勝手な仲間意識もある。
そんな風に、自分の人生に根付いた言葉が使われているからこんなにも偏執的に追いかけているのかもしれない。
理解したいのかもしれない。
理解して欲しいのかもしれない。
ここに、あなた方の言葉を受け取って勝手に支えにしている勝手な聴者がひとりいます、と。
その身勝手さは誰かに伝わらなくていいし、伝える気も無い。
ただ、結果だけが誰かの、もしくは未来の自分の、心に降り積もっておいてくれればいい。
結果とは、全曲分書き上げた瞬間の事。
ひとつひとつを読まれなくても、「うわ、全部書いたんだ。」と引かれる一瞬のために書ければいいと思う。
【オチ】
蓮が入ってる曲、他にもありました。
湘南乃風の睡蓮歌です。