砂漠を吹く乾いた風のようなパイプの音。
オリエンタルな鐘(銅鑼?)がリズムを刻み、我々は異次元の世界に連れて行かれる。
ロレリッツァー ソーウーワー ロレリッツァーー ラッアーー
民族音楽という言葉が頭に浮かぶ。
しかしこの、何語か分からない(おそらく何語でもない)単語(の、ようなもの)をまことしやかにどこかの国の言葉にでもさもあるかのように歌い上げて作品にするという芸術家魂。面白いじゃないの。
ラゥッラゥッレリラッ ソレリラッ グラッラッレリラッ ソレリラッ
自分の矮小な反射神経では「グラッ」と聞くとグラップラー刃牙!と言ってしまいそうになる。(すいません。)
意味を想像しようとしても、感情の無い「ラッラッレリラ」は楽しいのか悲しいのか、称えているのか貶しているのか判断つかない。
ライブでやった事無いと思うけど(Wether Reportリリースツアーがあればやったかもしれない)、もしやったら彼らは真顔で歌うのだろうか。うわーやばい。めちゃくちゃ面白いじゃん。めっちゃ見てぇー。
無感情で唱える言葉、と思うと儀式的なものしか思いつかないな。
砂漠にあらわれる何かを崇める儀式の風景かもしれない。
それはどちらかと言えば、原始的な風景と思う。
一迅の風が吹き終わるように、曲は跡形もなく崩れ去り空中へ消えてゆく。
『砂漠』『亀裂』『岩』と、自然と原始をテーマに進むのかと思いきや次曲『皿(ハッピーファミリー)』は都会的なものを感じる。
曲の繋ぎもどこからがどこまでが『岩』なのか分からなくてドキドキする。
次曲との境目が分からないのは1トラック仕様の明らかな成功だ。
CDプレーヤーの"うぃーん"という音を気にせず、曲に集中できる。
ああ、こんないい仕組みの音楽を聴く道具(CD)があるのは幸せだ。
良い悪い、古い新しいという二元論ではなく、その当時に"CDにしか出来ない事"をやっていたこのバンドに敬意を表す。