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日曜日/浴室

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何かが明けるような、始まるような、だけど期待に満ちたというには少し、荒々しいメロディで始まる。

 

歌詞の書き方も奇妙だ。
この曲の歌詞は、全て「」で括られている。
会話だ。
“ぼく”と“きみ”は、日曜日、初めて対話する。

 

『「水滴のようだよ もういまにも落ちようとしている」』
“きみ“から語りかける。
落ちようとしている水滴は何だ。
涙。
傷口から流れ出した血液。
それとも、”ぼく“のオピウムに呑まれそうな精神状態のことか。

 

『「きみがいる闇へ手を伸ばして かき回したい」』
”僕“は彼女のいる闇を求める。
しかしその闇は、生きて(生きてしまって)いる人間の行ける場所なのか。
印象的なギターフレーズ。
闇をかき回す音がこれだろうか。

 

『「交じりあえたね でもこれ以上は

現れては消える」』
”きみ“は闇(死者の彼女)と生きている”ぼく“が交ざりあい、中間地点に居ることを示唆する。
しかしある程度で交ざりあいは止まり、うつつへ現れては消える、不確かな存在になっている事も伝える。

『「現れては消える」』
幽霊。

それを強調するように、力強い演奏と歌詞が繰り返される。

 

『「ぼくは待ちきれるかな」』
何かを期待する”ぼく“。

 

『「もういいかい?」』
彼を待つ”きみ“。

 

『「まだだよ、まだだよ」』
”ぼく“はまだ準備中。

 

『「ぼくはずるをして
もう一回生きてしまって」』
“ぼく”はもう一回生きてしまった。
自殺未遂、に思う。
元々病気を抱えた彼女は、病気を隠して彼と出会った。
心に病みを抱えた“ぼく”は、かつて彼女と一緒に自殺しようとした。
だけど死ねなかった。
それを“ぼく”はずるだと言う。
バックグラウンドではどこかとぼけたようなメロディが鳴っている。
生き延びてしまった自分を皮肉って笑っているようだ。

 

『「許せないよ 二度とは」』
彼女は許せないと言う。

 

『「またやってしまったんだ」』
“ぼく”は彼女を喪った後でも、自殺を図ろうとしている。

 

『「震えをとめて」』
でもやっぱり、怖がっている。

 

『「サンクトペテルブルクで 浴室で」』
遠い国の都市でも、自宅の浴室であっても、その願望は治まらない。

 

『「この狭いバスタブが世界を蹂躙する」』
バスタブで腕を切った所で、1人の死で、世界が変わるわけないのに。
革命家気取りで気高く“ぼく”は腕を切る。

 

『「もういいかい?」』
再び問いかける。
1度目とは違う曲調。
待ちきれない様子。


『「まだだよ、まだだよ」』


『「きみは嘘をついて もう一回死んでしまって」』
2人の自殺は失敗に終わった。
だから"ぼく"は一緒に生きたのに。
彼女は病気を患っていた。

 

『「わからないよ 二度とは」』
“きみ”が嘘をついていたのか、もう訊くことはできない。

 

『「もう一回触れたかった」』
素直な“ぼく”の叫びが胸に痛い。

 

『「現れては消える」』
"きみ"の囁く声がする。
幽霊として会えるよと。

 

『「もういいかい?」』
“ぼく”が死にたいと彼女の幽霊に訊く。

 

『「まだだよ、まだだよ」』
まだいけないよと“きみ”は首を横に振る。
言葉と音楽がぴったり合って、なめらかに彼女は否定する。
当たり前のように。

 

『「ぼくはずるをして もう一回生きてしまって」』
“ぼく”は再び自殺を図った。
浴室で。
集中治療室から彼女は帰って来なかったから。

 

『「許せないよ だから、

わたしのいのちを、きみにあげる
パンケーキみたいに切り分けて、あげる」』
“彼女”はもう一度生きてしまった彼を、許さないと言う。
許さないから、“生きて”と言う。


また"1週間"が始まる。
彼女の居ない月曜日が始まる。
火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日も、土曜日も、日曜日も、
これから先の全ての1週間に彼女は居ない。
彼女が居た1週間は、『Ghost Apple』という作品に閉じ込められた。
聴き返せば、いつでも会える。

 

喪失と後悔に塗れた1週間が終わる。
窓を開け放って、部屋に風を呼び込むように。
エネルギーに満ちた後奏は、ひらかれている。


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会話、に見えるが本当に彼女はそこにいるのだろうか。
自分(="ぼく"自身)の頭の中の対話、もしくは彼女の幽霊(という"ぼく"の妄想)との会話に思える。
なぜなら、この会話を、"きみ"と"ぼく"で上から順番に分けていくと、辻褄が合わない部分が出て来てしまうからだ。
だから、これは会話ではないと思う。

 

だけど彼が後悔してるのは事実で、浴室で死の淵をさまようぐらいには病んでいる。

 

自分が好きなのは、最後に“ぼく”が生きる事を選ぶという点。
これだけ病んだ人が、命を“彼女が切り分けてくれた物”と受け止める。
この結論は、1週間、彼の喪失感や死への願望を体験してきた聴き手に、カタルシスをもたらす。(少なくとも、自分はね。)
“ずる“への罰が死だと思い込んでいた主人公が、そうではないと気づく。
それが彼女の言葉だったなんて、なんて完璧な愛なんだろうと思う。

 

これは現実なのか、妄想なのか、ハッキリと判別はできない。
自分は妄想説を推したいが。
生きる力って結局、自分の中にしか無いと思うんです。
ギリギリまでヤバイ所まで行っちゃったけど、(彼が作り出した)彼女との対話で戻る(=生きる)事を決める。
その決断は彼自身にしか出来ない。
そして、決断のキーは、彼女の死を喪失ではなく“命を貰った”と解釈する事だった。
そこに深く感動します。

そして何度でも、彼女からの愛を貰いたくなってしまうんです。


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小噺

 

個人的に“病んでる人が回復する話”がメチャクチャ好きってだけなんですけどね。

学生の時、心理学の授業で紹介された印象的な例。
精神病患者の方への療法のひとつに、「絵画療法」というのがあります。
なんでもいいから絵を描くことで、気持ちが安らぐそうです。
ある患者さんは、医師に「先生。わたしにはどうしても描けません。イメージが湧かないのです。」と白紙の紙を見せました。
医師は、「どれだけ時間がかかってもいいから、なんでもいいから描いてごらんなさい。」と待ち続けました。
やがて患者さんは、暗闇にロウソクが灯っている絵を提出しました。
患者さんは「これしか描けませんでした。私には何も無いのです。」と医師に残念そうに言いました。
医師は「だけど命の火が灯っている」と答えました。

なんやわからんけど、感動しました。
理由は分かんないんです。
「で?」って思う人もいるだろうし。
例もほかに色々あり、そのうちの一つだったのでサラッと流れていったし。
勝手に感動してました。

 

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後書

 

『Ghost Apple』終了です。
7年来の想いを込めて書けました。
読んでくださりありがとうございました。
そしてこんなバカみたいに長い文章を読ませてしまってすみませんでした・・・。

こんだけ書いてアレだけど、結局「本当に好きなんですよ」って一言で十分なんですよね(笑)
ただ、この文章に引っかかってくれた人が、「人をここまで気持ち悪くさせる音楽ってどんなんだろう。聴いてみよっかな。」と思ってくれれば、満足です。
マジで読んで貰う事考えずに好きなように書いてしまったなぁ。
本当に申し訳ないと思ってます。

 

でも後悔は無いなぁ。
これからも後悔の無い文章を書いていきたいですね。
読んで貰う事は意識しないとですね。

 

それでは、またヒマな時にでも覗いてやってください。
ありがとうございました。