YOMUSIC

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Kodomo Rengouというタイトルを、つけてほしくなかった。

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正確には、「子供」という言葉を、使って欲しくなかった。

私事になるが、最近、「大人になること」について考え続けている。

きっかけは職場の人間関係だが、"先輩の言うことには従う"ことが、自分にはどうも昔から苦手だった。

素直に「はい」と言えばいいものを、「その仕事は先輩の仕事に繋がるのだから、自分がやるより先輩がやった方が効率が良い」と考えてしまう。

考えてしまえば最後、「はい」と言えなくなる。

必死に押し殺して、「はい」という2文字を絞り出す。みんなそうやってる。

みんな自分の考えを押し殺して、うまくやってる。

 

とても大人な友達に相談したら、「人の気持ちは天気のようなもので、変えることはできない。どこかで発散させるしかないよ。私は誰かと飲みに行ってグチって発散してる。」ああ スゴイ 大人ですね。

天気なら仕方がない。何か言われても雨が降ってきたと思って、「はい」という傘を差す。

傘を差す。傘を差す。傘を差す。

アレ、なんだこれ傘だらけじゃねーか。

 

先輩に渡す書類の日付を間違えた。「アンタ、書類のどこ見てんの?出来ないんだったらアタシがやるからもういーよ。」「ありがとうございます。お願いします。」

あ、と思った。

大人の対応、出来なかった。

先輩はちょっと驚いていた。怒ったのかもしれない。仕事が1つ無くなった。

 

周りに軋轢が生まれないように、自分の言いたい事ややりたい事を我慢するのが"大人"だとしたら、Kodomo Rengouはその名にふさわしい。なんて自由な音楽なんだろう。

01-報いの一日

「何が何でも 散歩へ行こう」行けはしない。

「どうか僕をほっといて ちょうだい。どうか1人にしておいて ちょうだい」社会人は1人にはなれない。

02-無限会社

「新聞も紛い物」なんて言ってしまったら社会で弾かれる。

「ようこそ間違いの国へ」なんて言ってしまったら国外追放だ。

03-町A

無限に広がっていく感覚、これは子供の時はじめてあの丘のむこうへ行った時の感覚に似ている。自分の住む町はどこまでも続いていたんだって。

04-世界陸上

邦楽シーンで「ハイッハイッハイッハイッ」なんて歌詞が許されるのか。

「遺伝子は嘘をつかない」のなら、オリンピックは優性遺伝子しか勝てない。

05-デヴィルズ&モンキーズ

奇をてらったかと思えば、「何もかも忘れさせて いいよ」と、まるで親友のように歌詞がよりそう優しいポップスが流れてくる。

人は猿から進化し、悪魔は人の心から生まれた。

忘れさせて欲しいのは、悪魔か猿か。

06-動物になりたい

そして舞台は1番現実に近いのに、最も現実離れしている事を歌う"動物になりたい"

言葉を捨ててしまいたい。どきどきしているだけのふかふかしたいきものになりたい。

07-泥棒

先輩に「責任感やたら強いですね(笑)」と言ってやりたい。

08-眼球都市

眼球都市へ迷いこんで、この音楽の中にずっといたい。

ここまでどっぷり、ピープルの世界に入り込んだ所で、我々ははっとさせられる。

09-あのひとのいうことには

「ひとはそれを 狂気というけど」

これは狂気なのだ。音を楽しむことは狂気なんだ。

10-夜戦

狂気と言い放ちつつ、あらがえない音の快楽が襲ってくる。

なんてメロディアス、なんて気持ちいいんだ。

11-かみさま

トドメが"かみさま"、入りの音の重圧で、引き込まざるをえない。

きっと、音だけならずっと幸福の中にいられたのに。動物になれなかったので、言葉を捨てられなかったので、「いってらっしゃい」という言葉が洪水のような意味と共にのしかかってくる。

ずっと、"かみさま"で歌われる神様とは、何のことか考え続けている。

文脈から、母親がひとつの答えだと思っている。

けれど恐ろしい事に、かみさまが母親だとしたら、誰に「いってらっしゃい」と言ってるんだ?

子供じゃないか。

今までの曲は、全て子供の視点とも取れる。

この解釈だと、子供が見ている世界。だが作曲者(作詞者)は、大人だ。

12-ぼくは正気

その矛盾について語られるのが"ぼくは正気"で、子供は森を彷徨っている。

People In The Boxは、子供。

曲を聴く我々も子供。

作り手と受け手は同族。

だから"子供連合"

大人として生きる覚悟を決めたいのに、連合だなんて言われたら、行けないじゃないか。

そちら側にいたいよ。

だから「バイバイ」と歌われるとどうしようもなく涙がこぼれるのだ。

その森には戻れない事を知ってるから、苦しくて涙がこぼれるのだ。

無邪気に子供でいられるのは、このCDをかけてる間だけ。

回転が終われば、大人に戻らなくてはいけないのが辛いから、涙がこぼれるのだ。

身勝手な妄言で自分を慰めるとしたら、Peopleも同じ苦しみを知っているから、と言いたい。

彼らが子供でいられるのは、音を鳴らしている間だけ。音がやめば彼らもまた、大人に戻らなくてはならない。

我々は、子供連合。

手を差し出されはしないけど、一緒に歩いている。

そう思うと、ジャケットの裏の人影は、Kodomo RengouというCDを手にした我々1人1人に見えてくる。

 

 

この文章を書き終えた時、やけに気分が晴れている事に気づいた。

多分、大人にはなれないんだろうな。

子供だから、音楽が好きなんだ。

多分、それでいいんだろうな。

一生懸命大人をやっているから、音楽を聴いている間は子供に戻らせてください。

お願いします。かみさま。